さよなら親分
大沢啓二元日ハム監督が亡くなりました。
日ハムの大ファンだったことがあります。
いや日ハムファンというよりはむしろ親分ファンでした。
リーグ制覇した年は、9月から関東地区の全試合を見ました。
農協チックなnhのマークの帽子をかぶり、総武線で飯田橋へ。
試合が終わると、選手出口で親分を待ち、激励と握手。
いつも麝香の匂いをぷんぷんさせたダンディーな監督でした。
帰りの電車は合宿所に住んでる選手たちと同じ。
東横線、新丸子で降りる彼らを見送って日吉の家路につきました。
合宿所住まいなのに高級外車なんて乗れない時代。
弱小万年Bクラス球団。
東映の生き残りに、あちこちからの寄せ集め。
親分の采配の冴えもありプレーオフに勝ち、日本シリーズへ。
当時、2軍選手と交際していた友人の友人(笑)のコネを使い、
プレーオフ、日本シリーズのチケットを入手。
ホームなのにビジターの巨人ファンに囲まれる屈辱も。
過日、家の片付けをしていた妻に、「ほら、これ」、と当時の帽子と
旗を見せられました。今日、探してみましたがまたどこか魔窟に
しまいこまれたようです。「今度出てきたときは自分の死後整理かな」
なんて妻と話しました。
帽子のつばの裏には監督のサインと「燃えろ火の玉野球」の
キャッチフレーズが僕の汚い字で書いてあったはず。
ファイターズなんて「喧嘩集団」の割りに大人しい選手が多く、
釘谷というホームラン0の渋い職人もいたっけ。
最後のシーズン、1本打ったんだっけかな、0のままだったかな。
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あれもこれも当時のことが昨日のことのように思い出されます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌
個性豊かな方がまた一人亡くなられましたね。
by luckystream (2010-10-08 11:18)
ごめん(T_T)
by Rchoose19 (2010-10-08 22:23)
寂しいですね。
by かずのこ (2010-10-09 17:19)
コメントをくださった皆さん、
本当に悲しいですね。
by kotobukimaru (2010-10-11 11:18)
「喝!」
が聞けないのが寂しい・・・・・・
by へろーめ (2010-10-12 06:24)