ダイエット備忘録5 道について考えた [健康]
ダイエット、お陰様で極めて順調に進んでいます。
8日。写真なし。1530kcal 総歩行距離7.7km 85.1kg
9日。ここの所河川敷コースばかりで高低差がなかったので、自宅から大回りで
山越えのコースに。
知らないところを歩くのは楽しいです。
初めての道で、地図アプリの世話にもなっていませんから、
「道は繋がってる」の信念で、方向だけを考えて歩きます。
急坂を下っていると、こんな道が。
通学路、の看板がありました。
熊野神社の境内に出る道。
ここからいつもの河川敷へ。
穏やかないい散歩日和でした。
1350kcal 15km 84.5kg 高低差70m やった~、85kg切りました!
10日。妻と温泉ドライブ
朝からちらちら白いものが舞っていましたが、鍋越峠に入ると吹雪に。
今年から冬季閉鎖がなくなり、通年走行が可能になった鍋越峠。
除雪してありましたが、降る雪にすぐに積もってしまい、ガードレールも
低くカーブがきついので、やはり冬は避けたい道でした。
定点。
まだ雪が浅い山々のコントラストが綺麗。
この道を着たということは、お昼はもちろん西郷屋さん。
今年最後でしょう。
しみじみと旨い!
新定点。
温泉もいつもの久田旅館。
最初数人人がいましたが、最後には貸切に。
内湯はモール臭がわずかにする茶色いお湯。
露天は硫黄泉。
このお湯は本当にいい湯です。
舐めると少し甘いです。
帰宅後は長州へ。
1日の〆はニシン焼き。
1710kcal 2.9km 85.4kg
11日。日曜です。前日、たっぷり食べて飲んで体重が戻ったため、気合入れて歩きました。
遠出の予定なので、河川敷はやめて最短の道。
岩切街道に並行して走る新しい道。
岩切で岩切街道に合流。
ここから塩釜街道と名前が変わりますが、沿道には縄文遺跡が散在し、
原始から古代まで人が往来していた道です。
七北田川に沿った丘陵のふもとの道です。
塩釜街道に入ると、七北田川から別れ、田んぼの中の平坦な道になります。
しばし歩くと砂押川。
ここを渡ると奈良時代の朝廷の前線基地、多賀城政庁に出ます。
この日はここが目的地。
壺の碑=多賀城碑 クリックでWikへ
長く真贋が論議されていましたが、奈良時代に建てられたものに間違いないそうです。
文面をネットから拾うと、
西
多賀城
去京一千五百里
去蝦夷國界一百廿里
去常陸國界四百十二里
去下野國界二百七十四里
去靺鞨國界三千里
此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也
天平寶字六年十二月一日
この多賀城まで、京、今の奥州街道の下野の国、陸前浜街道の常陸の国からの道程、
そして蝦夷の国、遠く海を越えた韃靼国からの道程まで記されています。
1300年前の道標がこうして目の前にあるのを見ると、いつも気が遠くなります。
この碑まで自宅から10km・・・
時折吹雪く中、他に人もいない遺跡を歩きます。
政庁跡。礎石は当時のもの。
多分蝦夷の血も入ってる自分としては少し複雑な思い。
古代の空気をたっぷり吸って休憩して帰路に。
帰りは新しくできた道を歩きます。
頭上には三陸自走車道と北道路のジャンクション。
現代の道。
でも、これで日本中どこにでも行けます。
道を拓くのも人の人たる所以かもしれないな、などと考えながら吹雪の中を歩きます。
JR利府線の跨線橋。
鉄の道。
一番右が利府線、中央が保線用。狭軌とスラブ軌と両方走れるようです。
左は新幹線の引き込み線、そして高架が新幹線。
こんな景色をゆっくり見られるのも歩きならではです。
1405kcal 22.1km 84kg! もうちょいで83キロ台♪
8日。写真なし。1530kcal 総歩行距離7.7km 85.1kg
9日。ここの所河川敷コースばかりで高低差がなかったので、自宅から大回りで
山越えのコースに。
知らないところを歩くのは楽しいです。
初めての道で、地図アプリの世話にもなっていませんから、
「道は繋がってる」の信念で、方向だけを考えて歩きます。
急坂を下っていると、こんな道が。
通学路、の看板がありました。
熊野神社の境内に出る道。
ここからいつもの河川敷へ。
穏やかないい散歩日和でした。
1350kcal 15km 84.5kg 高低差70m やった~、85kg切りました!
10日。妻と温泉ドライブ
朝からちらちら白いものが舞っていましたが、鍋越峠に入ると吹雪に。
今年から冬季閉鎖がなくなり、通年走行が可能になった鍋越峠。
除雪してありましたが、降る雪にすぐに積もってしまい、ガードレールも
低くカーブがきついので、やはり冬は避けたい道でした。
定点。
まだ雪が浅い山々のコントラストが綺麗。
この道を着たということは、お昼はもちろん西郷屋さん。
今年最後でしょう。
しみじみと旨い!
新定点。
温泉もいつもの久田旅館。
最初数人人がいましたが、最後には貸切に。
内湯はモール臭がわずかにする茶色いお湯。
露天は硫黄泉。
このお湯は本当にいい湯です。
舐めると少し甘いです。
帰宅後は長州へ。
1日の〆はニシン焼き。
1710kcal 2.9km 85.4kg
11日。日曜です。前日、たっぷり食べて飲んで体重が戻ったため、気合入れて歩きました。
遠出の予定なので、河川敷はやめて最短の道。
岩切街道に並行して走る新しい道。
岩切で岩切街道に合流。
ここから塩釜街道と名前が変わりますが、沿道には縄文遺跡が散在し、
原始から古代まで人が往来していた道です。
七北田川に沿った丘陵のふもとの道です。
塩釜街道に入ると、七北田川から別れ、田んぼの中の平坦な道になります。
しばし歩くと砂押川。
ここを渡ると奈良時代の朝廷の前線基地、多賀城政庁に出ます。
この日はここが目的地。
壺の碑=多賀城碑 クリックでWikへ
長く真贋が論議されていましたが、奈良時代に建てられたものに間違いないそうです。
文面をネットから拾うと、
西
多賀城
去京一千五百里
去蝦夷國界一百廿里
去常陸國界四百十二里
去下野國界二百七十四里
去靺鞨國界三千里
此城神龜元年歳次甲子按察使兼鎭守將
軍從四位上勳四等大野朝臣東人之所置
也天平寶字六年歳次壬寅參議東海東山
節度使從四位上仁部省卿兼按察使鎭守
將軍藤原惠美朝臣朝獦修造也
天平寶字六年十二月一日
この多賀城まで、京、今の奥州街道の下野の国、陸前浜街道の常陸の国からの道程、
そして蝦夷の国、遠く海を越えた韃靼国からの道程まで記されています。
1300年前の道標がこうして目の前にあるのを見ると、いつも気が遠くなります。
この碑まで自宅から10km・・・
時折吹雪く中、他に人もいない遺跡を歩きます。
政庁跡。礎石は当時のもの。
多分蝦夷の血も入ってる自分としては少し複雑な思い。
古代の空気をたっぷり吸って休憩して帰路に。
帰りは新しくできた道を歩きます。
頭上には三陸自走車道と北道路のジャンクション。
現代の道。
でも、これで日本中どこにでも行けます。
道を拓くのも人の人たる所以かもしれないな、などと考えながら吹雪の中を歩きます。
JR利府線の跨線橋。
鉄の道。
一番右が利府線、中央が保線用。狭軌とスラブ軌と両方走れるようです。
左は新幹線の引き込み線、そして高架が新幹線。
こんな景色をゆっくり見られるのも歩きならではです。
1405kcal 22.1km 84kg! もうちょいで83キロ台♪
もう、結構雪が舞ったりしているのですね。
お散歩(って距離じゃないですね)も続いていてすごいです。
体重も確実に減ってきているんですねぇ。
たまに美味しい物食べたりしながらのダイエットは
身体にも心にもいいんでしょうね~~♪
by Rchoose19 (2016-12-13 12:44)
1300年も昔からある道、ひたすら歩いて拓いたのでしょうね。
確かに、道を拓くのは人たる所以だと私も思います。
by luckystream (2016-12-14 23:38)
Rchoose19さん、
この日は寒かったですよ~
手が凍傷になるかと思いました。
そうそう、たまにご褒美がないと辛いだけのダイエットになっちゃいますから(笑)
luckystreemさん、
ねぇ、奈良時代あたりの大路はかなり広かったらしいですね。
人力だけですから、どれだけ大変だったか。
ナイスをくださった皆さん、いつもありがとうございます。
by kotobukimaru (2016-12-20 15:33)