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忘れられた浜 [おでかけ]

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日曜日、旧牡鹿町、現石巻市小渕浜のヤマカ、木村さん宅へお見舞いに伺いました。

前記事に書いたとおり、木村さんは表浜で漁業再生プロジェクトを立ち上げた
浜のリーダーです。
彼の奥様の妹さんが妻のバレーのチームメイト。
かつ、家がごく近所で子供たちも同年代で20年来のつきあい。
そんなご縁で、釣り船に乗せていただいたり、牡蠣、若布を購入したり、
なにより、海の上で何度貴重なアドバイスを頂いたことか。

連日渋滞が伝えられる三陸道ですが、日曜はすいすいでした。
いつものように石巻港ICで降りて工業港の幹線道路を走ります。
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街路樹がなくなり、殺伐とした景色。
残った家もほとんどが窓が破れ傾き。その中でも2階に洗濯物が干してあったり。
ヒマワリが物悲しい。
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日和大橋を渡ると、今回の津波のシンボルにもなった缶詰を模した構築物が。
渡波が想像していたよりも被害が少ない(もちろん甚大なのですが)のに
驚き、万石大橋からは釣り糸を垂れる人も。
でも、今回釣りをしているのを見たのはここでの二人だけでした。
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かつて、初めての船、第一壽丸を買って係留した桃ノ浦漁港。
立ち位置は牡蠣剥き場があった場所。
漁協の建物、民家、何もかもがなくなっています。
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思い出深い場所なのですが・・・
奥に見えるのが集落。県道から海側は1軒も残っていませんでした。
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僕の船をもやっていた場所は堤防がなくなっていました。
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大原浜かな。ここもほぼ全滅。
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木村さんの浜に着きました。
石巻の市街地から曲がりくねった県道を通って1時間かかります。
狭い山あいに民家が密集していました。
が、低いところは土台を残してなにもない。

あまりに見通しがよくなって、逆に道が分からなくなってしまい、小渕漁港まで行き、
やっと道を思い出しました。
住んでる本人でさえ、夜に道を間違えた、と笑っていました。

木村さん、奥さんと色々話しをしました。

昨日まで避難者(彼の家は高台で床下浸水で済みました。よって、地区の方
親類、多い時で38人が避難していたそう。)がいたこと。
しかし、行政からは1円も出ていないこと。

ボランティアにも色々な人がいること。
自分探しに来る人でも、断る訳にもいかないと苦笑。

足の不自由なお婆さんを助け、その後木村さんは漁協の2階へ、波が押し寄せましたが
流れてきたコンテナにつかまり、押し波に乗り、陸地に飛び移り九死に一生を得たこと。

こんな狭い地区で18人も亡くなったこと。

奥様は生まれた時からここに暮らしているけれど、今はあまり海を見たくないこと。
お二人とも、車で出かける時、被害の激しい場所は避けて通るそうです。

淡々と話して下さるのですが、何度も何度も無言の「間」が空いてしまいます。

奥さんの言葉が印象的でした。

「テレビで日和山や気仙沼はよくやるけれどね、私たちの浜は忘れられてるの
「県道から奥まったところにあるから、直接見えないでしょ」

事実、牡鹿半島の各集落、支援の手が入ったのは地震から大分時間が経ってからでした。
それまでは、がれきの木材を燃やし、沢の水を飲み、完全に自給の生活を強いられました。
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小渕浜の沖にある鮫島です。奥は網地島。
海の上にはなんにもありません。
本来、牡蠣、若布、海苔の養殖のブイが縦横に張り巡らされているのに・・・
そして、この日、石巻から鮎川まで、海の上に1艘も船を見ませんでした。

この異常さ、きっと普段来ない人には分からないでしょうね。
「綺麗な海」としか思わないでしょう。

いみじくも、息子さんが言ってました。
「海、綺麗なもんだよ。なんにもないもん」
でも、こうも言ってました。
「やりがいはあるよ、ここにもう一度、整然と自分たちの養殖施設を張れるんだから」

「やるしかない」
最近の木村さんの口癖です。
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若布は、ダイバーを頼みどうしようもなく絡みあったロープからメカブを回収し、
種付けは塩釜に依頼し、来春の出荷にめどをつけたそうです。
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どの浜よりも先に牡蠣の幼生をつけ、ほんのわずかですが、来冬には
出荷できるそう。
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資材は高騰し、国内産は品不足で韓国からの輸入に頼っているそう。

養殖漁業を、海から勝手に採れると勘違いしてる方も多いですが、
施設には莫大なお金がかかります。
養殖業=設備産業なのです。

木村さんの浜では、廃業した方から権利を買うなどして、規模を拡大し、
若い後継者も数多く育っています。
しかし、それだけ今回の津波の被害額は甚大でした。

それでも、再び借金をし、元の通り、いや、今回も廃業した漁民の権利を買い、
今まで以上に拡大していきたい。
と木村さんは力強く言っていました。

今回、表浜漁業再生プロジェクト(クリックで公式HPへ)を立ち上げたのも、
再生への自信があるからだと思います。
何度もお願いしますが、是非、これを御覧になった皆様に、
応援よろしくお願い申し上げます。

木村さん宅を後にし、少し浜を歩いてみました。
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木村さんのすぐ下の家。土台ごと傾いています。
七ヶ浜でも見た光景ですが、あるラインを境に天国と地獄の絵になります。
これがきつい・・・
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かつて浜の作業小屋があったところ。
奥さんはここで若芽の作業をしていたそうです。
手前に見える水たまり、海に繋がっていて、ボラの子供が泳ぎ回っています。
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沈下した堤防は満潮時水没し、船に乗ることができません。
ボランティアの助けも借りて、かさ上げしました。
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牡蠣剥き場。
海水浄化装置もめちゃくちゃ。
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トップにもあげましたが、宮城県漁協表浜支所の建物。
1階の荷捌き場は何もありませんが、二階を仮事務所にして懸命に復興にあたっています。
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津波の威力が分かります。
がれきも片付かないままあちこちに。
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表浜漁港(西出当=なりあて漁港)から小渕へ抜けます。
右手の高いところに木村さんの家があります。
山は海側なのですが、小渕からの浪と西出当からの浪が合わさって襲ってきたそうです。
これだけ高いのに、さらに山に逃げたそうです。
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基礎だけが残って、そこに住宅があったとは思えません。
石碑だけがしっかりと立っています。
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外海からずっと奥まったところにある小渕港。

普段は波も全く立たず、静かな入り江でした。
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ここも浜に面した家はなにも残っていません。
道自体がなくなり、堤防も途中で水没しています。
時化の時、船を出せず、ここの堤防から糸を垂れ、
マコガレイの良形やセッパ、脱走ギンザケを釣ったのが
つい昨日のように思い出されるのに・・・

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隣の十八成浜。
鳴き砂があり、牡鹿半島屈指の綺麗な海水浴場です。
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地盤沈下で砂浜はなくなり、離岸堤も水没しました。
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鮎川浜。かつて鯨で栄えた大きな港町です。
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津波が川を遡ったのが分かります。高台の旧牡鹿町役場は無事だったそう。
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水没した岸壁。

平地の少ない牡鹿半島、県道の両脇、数少ない高台の平地にはことごとく
仮設住宅が立っていました。
伊達正宗が送った遣欧使節、サンファンバウティスタ号の出港地、月の浦の展望台。
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その展望台にも、わずか2戸の仮設住宅が。
大海原を見下ろす支倉常長像、彼の見る海が一日でも早く元の海になりますように。
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コメント 8

pomme

被災された方だけしか分からない悲しみ
さを感じましたが、息子さんの言葉に
ホッとさせられました。
少しでも行政の手が助けになりますように。
by pomme (2011-08-30 15:24) 

luckystream

また涙が出てきました。
こうやって忘れられた浜がいくつもあるのでしょうね・・・。
木村様や漁師さん達の「やるしかない」という強い気持ちを
支えるために、長い支援が必要ですね。
by luckystream (2011-08-30 16:31) 

ぱんの日

1艘の船さえ見れなかった浜・・・
そんな場所で再起を願う人たちが
こうして頑張っていると思うと
涙が出ます。

by ぱんの日 (2011-08-31 11:06) 

kotobukimaru

pommeさん、
そうですね、話していると目が遠くを見るんですよ。
無言には無言で返すのが一番だと思って。

luckystreamさん、
話していてね、みんなウルっと来ちゃうのね。
たわいのない笑い話していてもね。

ぱんの日さん、
こんな海を見たのは初めてです。
約30km、どこにも船が出てないんですよ。

ナイスをくださった皆様、
いつもありがとうございます!!!
by kotobukimaru (2011-08-31 11:14) 

ぺこりん

たしかに、行政もマスコミも大声出す人、目立つ人のほうを向きがちですね。でも、私もそうでしたが、あの時泊まったあの浜は、あの民宿の人たちは無事かな?って、避難者名簿を探したり、googleの航空写真みたりして、声は届かなくても気にしてる人はきっといっぱいいると思います。
by ぺこりん (2011-08-31 12:22) 

bluebird

一度目に記事を拝見して、nice!押すのをためらい、コメントもなんて書けばいいのか浮かびませんでした。
自分は今のところ普通に暮らせているから、何も言えないよ・・って思ってしまいました。

立ち上がろうとしている皆さんのために、一刻もはやく支援の手が届きますように。

by bluebird (2011-09-01 23:13) 

うつぼ

テレビや新聞で報じ切れないとはいえ、忘れられた浜、というのが
きれいな海とあまりに対照的で、こうやってkotobukimaruさんが
取り上げてくださらなかったら知らないままだったと思うと、
kotobukimaruさんには感謝しております。
今回、一口だけ支援に参加させていただきましたが、継続していきたいと思っています。友人にも話して少しずつでも活動の輪を
広げていきたいと思います。
by うつぼ (2011-09-03 20:33) 

kotobukimaru

ぺこりんさん、
そうなんです。浦戸では何億も集まったそうです。
マスコミに取り上げられるかどうかでこうも違うなんて・・・

bluebirdさん、
この浜だけでなく、いくつも苦労してる浜があります。
なんとか力なになりたいのです。

うつぼさん、
支援、ありがとうございます。
みなさん、一人一人の支援が大きな力になるとおもいます。
拡げて頂いてありがとうございます。
by kotobukimaru (2011-09-07 15:25) 

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